徳島喫茶史
徳島珈琲店の創生期。大正7年カフェーが初めて徳島にできる。
昭和初期まではカフェーが流行。飲酒と喫茶ができる社交の場として、学生から社会人まで幅広く利用されていた。
昭和8年にはカフェーが66軒、女給さんが180名いたと記録されている。
※写真は「カフエ ノグチ」の店内。女給さんがお酌をしているのが分かる。
『帰らざるふるさと徳島』より
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年月 |
徳島の飲食に関する出来事 |
同時期の主な出来事 |
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1912(大正1)年 |
4月15日、タイタニック号沈没 |
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1913(大正2)年 |
名西郡神領村(神山町)の宮本惣吉、徳島県ではじめてパンの製造を開始(宮本商店、宮本淳夫氏はその二代目) |
6月、森永製菓ミルクキャラメル販売開始 |
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1914(大正3)年 |
名西郡(石井町)の橋本善蔵が製パンを始める(橋本製菓、橋本善助氏はその三代目) |
秋、徳島市内の街角にガス灯が灯る |
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1915(大正4)年 |
徳島公園内に、西洋料理店「太陽軒」開業 ![]() |
蒙古帰りの三島海雲が「醍醐味」のちのカルピスを創製 |
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1916(大正5)年 |
富田橋通り(内町)の藤田只之助、収容所でドイツ式製パン法を習い、パンを収容所に収める。屋号をのちに「ドイツ軒」と称す |
天神通(新町橋2丁目)に、日活直営館「相生座」開館 |
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1917(大正6)年 |
7月、板東町でドイツ式野菜栽培が始まる |
4月9日、徳島俘虜収容所のドイツ人俘虜206人を板東俘虜収容所(現鳴門市大麻町板東)に移す |
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1918(大正7)年 |
野口久市が徳島市富田町に「西洋御料理 カフエーノグチ」開業 『帰らざるふるさと徳島』より ![]() |
6月1日、板東俘虜収容所にて日本初「第九」演奏 |
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1919(大正8)年 |
徳島市新町橋に中央亭、朝日亭ができる |
6月28日、ベルサイユ講和条約調印 |
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1920(大正9)年 |
4月、板東俘虜収容所閉鎖 |
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1921(大正10)年 |
日和佐 豊田屋、パン製造開始 |
7月、日本最古のコンクリート製道路トンネル「松坂隧道」(牟岐町内妻)完成 |
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1922(大正11)年 |
両国橋北詰東に映画館「両国座」開業 |
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1923(大正12)年 |
震災を境に、そば屋、汁粉屋が後退し、支那そば屋、洋食店、喫茶店が流行 |
9月1日、関東大震災 |
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1924(大正13)年 |
1月26日、昭和天皇(裕仁親王)と久遍宮良子女王ご成婚 |
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1925(大正14)年 |
3月、キューピーマヨネーズ発売 |
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1926(大正15・昭和1)年 |
この頃から昭和の初めにかけて、ホップス種使用の食パン製造が拡がる |
8月6日、日本放送協会(NHK)開局 |
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1927(昭和2)年 |
大木他一郎、徳島で初めて国産培養イーストを使用してパンを製造、次第に全県に普及 豊茂正二がアメリカ式西洋料理の店「アメリカ食堂」を開く。のちの「喫茶びざん」 ![]() |
1月、アメリカ世界児童親善会より青い目の人形が300体到着、全国の小学校に親善大使として贈られる |
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1928(昭和3)年 |
新町橋畔で料亭「静」を経営していた天羽八十八さんが、徳島公園内に「徳島花壇」という木造2階建ての料理屋を開業した。粋な名前が人々の心をひきつけた。西の丸へやってくる団体にはきまって折詰弁当を夜どおし作るという忙しさ。市役所や聯隊区司令部などの宴会によく使われていた。婚礼なども昼から夜へかけてどんちゃん騒ぎし「水もの」は派手にふるまっていた。五十銭から一円の会席で、富田町あたりから、きれいどころも出入りし活気にあふれていた。見合いの場所としても気安く使われ、縁組のまとまった市民も多い。 『帰らざるふるさと徳島』より ![]() |
1月12日、相撲放送開始 |
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1929(昭和4)年 |
3月31日、徳島市営バス創業 |
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1930(昭和5)年 |
ハレルヤ製菓(岡武男)、中尾製パン(山下佐一)、木村屋(海津稔)の3店が創業。なかでも木村屋は16キロの電気窯でパンを焼き、業界の注目を集める。 |
3月6日、アメリカで世界初の冷凍食品発売 |
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1931(昭和6)年 |
9月14日、「カフェー徳島会館」が開業。ジャズバンドを常備していた。
![]() |
9月18日、満州事変勃発 |
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1932(昭和7)年 |
「徳島ブラジルコーヒ店」大工町で創業
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11月3日、西の丸運動場で徳島県初の体育祭開催 |
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1933(昭和8)年 |
昭和初期カフェー全盛期 『目で見る徳島の100年』より ![]() |
世界初乳酸飲料「カルピス」発売 |
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1934(昭和9)年 |
1月6日早朝、新魚町(現在の両国橋付近)の「カフェー天国」より出火、8戸全半焼 |
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1935(昭和10)年 |
11月1日、カフェー営業取締規則を制定 |
3月20日、高徳線が開通 |
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1936(昭和11)年 |
共同国産煉乳会社、名西郡高原村(現名西郡石井町高原)に徳島県初の乳製品工場を設立 ※写真は昭和11年頃の両国橋通り「カフェー・大丸」 |
1月29日、映画館「新富座」全焼 |
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1937(昭和12)年 |
森永乳業、共同国産煉乳会社の工場を徳島工場として引き継ぐ。当初の原料乳は1日13石程度で、主として煉乳を生産 |
7月、日華事変始まる |
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1938(昭和13)年 |
ハレルヤ製菓、「金長饅頭」を創製 |
5月、丸新で初のエレベーター設置 |
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1939(昭和14)年 |
11月、板野郡鳴門村の高島、三ツ石の塩業者が合同で機械製塩工場を高島に建設(徳島県最初の製塩工場) |
9月3日、第二次世界大戦勃発 |
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1940(昭和15)年 |
2月、板野郡撫養町、瀬戸町の製塩業者が合同して本斎田製塩工場を大桑島に建設 |
5月、修学旅行が禁止される |
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1941(昭和16)年 |
珈琲豆の入荷が禁止される(真珠湾攻撃以降) |
4月3日、かちどき橋架設 |
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1942(昭和17)年 |
3月、大社義規が徳島市寺島本町に「徳島食肉加工場」(日本ハムの前身)を設立 |
8月29日、全国中等学校野球大会で徳島商業学校(現徳島商業高校)が優勝、記録されない幻の甲子園とされた(1977.8.16優勝認定) |
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1943(昭和18)年 |
6月、徳島市で通帳制による家庭用酒類の配給始まる |
7月1日、東京府・東京市が統合し、東京都に |
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1944(昭和19)年 |
喫茶店で使用する業務用牛乳の出荷が禁止される |
家屋が密集していた西横町(元町、徳島駅前から新町橋にかけて)の東側の民家を強制疎開により解体 |
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1945(昭和20)年 |
7月4日、徳島空襲 |
徳島珈琲店の発展期。終戦後からジャズやクラシックが流れる純喫茶が主流に。

このころから、純喫茶が主流になる。
終戦の落ち込む気持ちから、少しずつ立ち直ろうと音楽がさかんに聴かれるようになる。
少しずつ道路も整備され街道沿いにはドライブインが多くできる。
※写真は昭和30年5月18日創業の「いかりや珈琲店」の当時のメニュー。
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年月 |
徳島の飲食に関する出来事 |
同時期の主な出来事 |
|---|---|---|
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1946(昭和21)年 |
4月、「徳島東宝」開館 |
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1947(昭和22)年 |
1月、徳島市内の国民学校11校、8100人の児童を対象に、学校給食実施 |
1月1日、日本語の横書き表記を左から右表記に変更 |
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1948(昭和23)年 |
8月、大社義規、徳島市万代町に個人経営による食肉加工場を再開 |
4月1日、旧制中等学校を新制高等学校に移行 |
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1949(昭和24)年 |
1月15日、第1回成人式開催 |
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1950(昭和25)年 |
珈琲豆が入荷されるようになる。 |
1月1日、千円札発行。年齢を満でかぞえることを実施 |
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1951(昭和26)年 |
12月、大社義規、個人経営のハム工場を資本金150万円の「徳島ハム(㈱」(日本ハムの前身)に組織変更 |
1月3日、第1回NHK紅白歌合戦放送 |
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1952(昭和27)年 |
富岡町(現阿南市)でアユの水田養殖が徳島県で初めて行われる。その後県下に広まる。 |
7月1日、四国放送(JOJR)放送開始、四国初の民間ラジオ放送 |
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1953(昭和28)年 |
徳島県で本格的なノリ養殖始まる |
2月1日、NHKが日本初テレビ放送開始 |
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1954(昭和29)年 |
4月12日、鳴門-淡路間に日本初のフェリーボート就航(昭和53年、公団フェリーは廃止) |
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1955(昭和30)年 |
1月、「子供の国」閉園 |
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1956(昭和31)年 |
11月26日、藍場町で大火事が起きる。被災者230人 |
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1957(昭和32)年 |
「名店街ビル」完成 |
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1958(昭和33)年 |
喫茶「トロイカ」・「たかしまコーヒー店」開店 |
5月1日、阿南市発足 |
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1959(昭和34)年 |
UCC上島珈琲 徳島支店、徳島市秋田町2丁目に開設 |
4月10日、皇太子明仁親王、正田美智子様ご成婚 |
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1960(昭和35)年 |
コーヒー豆の輸入が完全自由化 |
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1961(昭和36)年 |
5月、毎日牛乳徳島工場竣工 |
3月30日、幸町-徳島町間に立体交差道路開通 |
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1962(昭和37)年 |
徳島市沖洲地区で砂地の特性を利用した青ネギの生産地形成が進む |
4月1日、「徳島ホール」開館 |
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1963(昭和38)年 |
安富商店開業 |
4月、バナナなど25品目の輸入自由化実施 |
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1964(昭和39)年 |
林 正(大正7年生)が蔵本駅前で「純喫茶 林」を開業 |
元町「つぼみや」百貨店として新装開店 |
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1965(昭和40)年 |
ハマヤ株式会社、徳島市中洲に徳島営業所開設 |
9月11日、台風23号、徳島県下に大被害をもたらす |
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1966(昭和41)年 |
同伴喫茶などと呼ばれる喫茶店ができる |
6月29日、ビートルズ来日 |
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1967(昭和42)年 |
ダートコーヒー株式会社、徳島市新内町に徳島支店を開設 |
2月15日、徳島空港完成 |
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1968(昭和43)年 |
2月16日、17年ぶりの豪雪で大規模停電、交通マヒに陥る |
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1969(昭和44)年 |
洋酒喫茶・ラテン喫茶などと呼ばれる喫茶店が次々開店 |
UCC上島珈琲㈱、世界で初めてのミルク入り缶コーヒーを発売 |
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1970(昭和45)年 |
この頃から、ハウスメロンがビニールハウスで栽培始まる。 |
3月14日~9月13日、日本万国博覧会(大阪万博)開催 |
徳島珈琲店の最盛期。純喫茶から喫茶レストランへ

このころから、郊外型の喫茶レストランなどができはじめ、チェーン店も出来始める。
独創的な店舗が人気店となり、純喫茶のころの席数(15席~30席)が大型化しレストランとなり、30席~50席以上の店舗が増え始める。
徳島市内では蔵敷区(クラシック)・仏蘭西屋・カサブランカ・キングofキング・バレンシアなどが有名
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年月 |
徳島の飲食に関する出来事 |
同時期の主な出来事 |
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1971(昭和46)年 |
阿南駅前に喫茶「さんじぇるまんコーヒー」開店。 |
6月、グレープフルーツなど20品目の輸入自由化。 |
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1972(昭和47)年 |
6月11日、「徳島パークホテル」開館。 |
5月10日、鳴門市大麻町の旧ドイツ俘虜収容所跡地にドイツ館を創設。 |
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1973(昭和48)年 |
歌声喫茶・サービス喫茶などと呼ばれる喫茶店が次々開店。 |
オイルショックが起きる。 |
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1974(昭和49)年 |
岸日本ハム、名西郡石井町に1日500頭の豚を処理する徳島工場を完成させる。 |
1月13日、徳島町城の内に、「青少年センター |
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1975(昭和50)年 |
5月8日、鳴門市公設卸売市場開設。 |
12月21日、徳島市金沢町に民間総合運動施設「ハッピー」オープン。 |
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1976(昭和51)年 |
4月、学校給食に米飯導入。 |
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1977(昭和52)年 |
8月28日、北灘沖で赤潮大発生、養殖ハマチ84万匹が死に、ウチノ海の魚などに大きな被害。 |
10月、低カロリー・低脂肪のローファット牛乳が発売される。 |
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1978(昭和53)年 |
小原 博(COFFEE WORKS代表)が阿南市にビストロ「ディラン」を開業。 |
4月、「内町小学校」寺島本町から徳島町城内(西の丸運動場跡)へ新築移転。9月、「徳島市立体育館」竣工。 |
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1979(昭和54)年 |
ゲーム喫茶が流行り始める。 |
4月2日、テレビアニメ「ドラえもん」放送開始。 |
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1980(昭和55)年 |
小原 博 自家焙煎の店「でっち亭」を開店。 |
4月、ゆとり教育スタート。 |
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1981(昭和56)年 |
2月16日、八百屋町に「徳島郵便局」局社新築。 |
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1982(昭和57)年 |
徳島県下の飲食店の総数は5517.このうち喫茶店1220が最も多く、ついで一般食堂980、バー・キャバレー・ナイトクラブ871、酒場・ビアホール594であった。(6月1日) |
8月20日、第64回甲子園選手権大会で「県立池田高等高校」優勝。 |
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1983(昭和58)年 |
10月1日、徳島駅開発ビル「アミコ」、「そごう」開店。 |
3月18日、徳島CITY開店。 |
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1984(昭和59)年 |
11月、東新町にマクドナルド徳島1号店開店。(平成22年4月30日閉店) |
1月24日、米国でマッキントッシュ(Mac)発表。 |
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1985(昭和60)年 |
4月1日、日本電信電話公社がNTTに、日本専売公社がJTに 民営化。 |
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1986(昭和61)年 |
4月5日、第58回選抜高校野球大会で「県立池田高等高校」優勝。 |
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1987(昭和62)年 |
木元 幹雄 ログハウスの喫茶レストラン「wuto-wurk ウトウーク」を開店させる。 |
4月1日、国鉄、民営化でJRに。 |
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1988(昭和63)年 |
9月1日、10年かけて開発された徳島の地鶏「阿波尾鶏」誕生。 |
3月18日、東京ドーム開業。 |
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1989(平成元)年 |
足立 洋規 鴨島町で喫茶店「花杏豆」を開店させる。 |
11月9日、ベルリンの壁崩壊、翌年10月、ドイツ再統一。 |
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1990(平成2)年 |
小原 博「珈琲美学」を開店。(2010(平成22)年店名を「TOKUSHIMA COFFEE WORKS 」に変更。) |
6月29日、礼宮文仁親王と紀子様ご成婚。 |
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1991(平成3)年 |
5月、ジュリアナ東京オープン。(平成6年、閉店) |
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1992(平成4)年 |
バルセロナオリンピック開催。 |
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1993(平成5)年 |
4月24日、徳島ターミナルビル内に「徳島クレメントプラザ」開店。 |
8月28日、「マリンピア沖洲」竣工。 |
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1994(平成6)年 |
6月27日、松本サリン事件発生。 |
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1995(平成7)年 |
3月21日、丸新百貨店閉店。 |
1月17日、阪神淡路大震災。 |
全国チェーンの店や独自性に富んだ店が次々登場

大正・昭和初期とはニュアンスの異なる“カフェ”と呼ばれる店の登場や、自家焙煎の店も急増し、喫茶スタイルは多様化していく。
※写真はカフェCOMODO
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年月 |
徳島の飲食に関する出来事 |
同時期の主な出来事 |
|---|---|---|
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1996(平成8)年 |
「櫻茶屋」開店。 |
2月18日、「東新町ボードウォーク」完成。 |
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1997(平成9)年 |
4月、第1回はなはるフェスタ開催 |
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1998(平成10)年 |
3月20日、中洲町に地ビールレストラン「阿波うず潮ビール」開店。(現ザ・パシフィックハーバー) |
2月2日、郵便番号7桁化。 |
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1999(平成11)年 |
3月3日、NHKオリジナル曲「だんご3兄弟」が大ヒット。 |
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2000(平成12)年 |
8月、「徳島パークホテル」閉館。 |
4月22日、大鳴門橋歩道「渦の道」オープン |
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2001(平成13)年 |
11月2日、北島町に「フジグラン北島店」開店。 |
3月31日、大阪USJ開業。 |
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2002(平成14)年 |
マンガ喫茶が流行る。ネット喫茶できる。 |
3月25日、栄町「OSグランド」閉館。 |
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2003(平成15)年 |
6月1日、富田浜「ホテルサンルート徳島」閉館。 |
6月1日、「徳島東映」閉館 |
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2004(平成16)年 |
4月6日、松茂町「徳島とくとくターミナル」完成。 |
アテネオリンピック開催。 |
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2005(平成17)年 |
4月25日、JR福知山線脱線事故発生。 |
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2006(平成18)年 |
3月18日、徳島駅前名店街ビル、「ME!TEN!GA!ビル」として新装開店。 |
1月27日、籠屋町「徳島東宝」「東宝シネマ」閉館。 |
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2007(平成19)年 |
5月12日、映画「眉山-びざん-」公開。 |
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2008(平成20)年 |
4月27日、第一回とくしまマラソン開催 |
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2009(平成21)年 |
1月20日、米、オバマ大統領就任。 |
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2010(平成22)年 |
白いブランコ開店 |
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2011(平成23)年 |
11月24日、藍住町に「ゆめタウン徳島」開店。 |
【参考文献】
・西東秋男『阿波・徳島食文化史年表』徳島出版 1987年
・三好昭一郎/監修『徳島市・名東・名西今昔写真帖』郷土出版社 2009年
・内町コミュニティ誌編さん委員『ひょうたん島今昔』内町まちづくり協議会 2009年
・三好昭一郎『目で見る徳島の100年』郷土出版社 1999年
・徳島新聞社第2事業部『写真集 徳島100年 下』徳島新聞社 1980年
・井上鋹晴『帰らざるふるさと・徳島』株式会社出版 1972年
・徳島市市史編纂室『写真でみる徳島市百年』株式会社出版 1969年
・徳島経済同友会『創立60周年記念誌』徳島経済同友会 2013年
・徳島県信用保証協会『徳島県信用保証協会70年のあゆみ』徳島県信用保証協会 2019年
・徳島県医師会『徳島県医師会史 第二巻 徳島県医師会館落成記念誌』2016年
・日本電信電話公社『職業別電話番号簿』1962年・1968年・1970年・1971年・1972年・1974年・1975年・1977年・1979年・1980年・1982年・1983年・1985年
・日本精密地図出版社『徳島精密市街地図』1953年
・善隣出版社『西日本住宅詳細図 観光と産業の徳島市版』1955年
・善隣出版社『西日本住宅詳細図 観光と産業の徳島市小松島市』1956年
・徳島市地図編纂会『徳島市内明細地図』1958年
・善隣出版社『西日本住宅詳細図 徳島市版』1959年
・善隣出版社『西日本住宅詳細図 徳島市・鳴門市・北島町・松茂村』1960年
・善隣出版社『ゼンリンの住宅地図 徳島市』1970年
















