喫茶店を始めたい人がこぞって訪れたという喫茶教室。時代のニーズに対応するセンスは抜群

デパートの珈琲といえばHAMAYA

“百貨店のコーヒーといえばハマヤ”といわれたように全国の百貨店ではHAMAYAブランドが有名であった。終戦後喫茶店が多く出店され出すと共に、各事業所が展開されはじめる。四国では昭和30年「高知大丸百貨店」に、1956年(昭和31年)には高知営業所が開設されている。徳島では大丸百貨店関連にあたる「丸新百貨店」内で、HAMAYAブランドの缶入りコーヒーが販売されていた。(昭和32年頃)
その後昭和40年に徳島営業所が開設される。

徳島の喫茶店やレストランの革新派

徳島でHAMAYAコーヒーが広く広まったのは、「珈琲人」という珈琲専門店への納品をきっかけに“珈琲人チェーン”なる珈琲専門店が当時23店舗も出店されたのが大きな理由。「珈琲人」のコーヒーは、現在では普通になった深煎り珈琲が源で、当時深煎り珈琲はあまり存在せず、こんな苦味の強いコーヒーは邪道との風潮が強かった。その理由として、アメリカなどでは薄めのコーヒーが主流であり、ヨーロッパではエスプレッソが存在した。(1901年に開発されていた)その風潮を打ち破っていったのがそのチェーン店で、四国以外にも波及していった。(九州にも珈琲人チェーンが出来ている。)

その後、喫茶店は郊外型が中心となり、昭和50年代には大型の喫茶店が多く出店し、その店舗の設計模様にも多くの工夫が加えられ、繁盛店舗になっているのである。その代表的な店舗が、重厚な家具が使用されたり、ステンドガラスを使った古代ローマ遺跡ギリシャ遺跡などの豪華遺跡風店舗、豪華客船の形をした店舗、また豪華列車を模ったステーション店舗、 ゲーム喫茶、など店舗の中に異空間を存在させた店舗づくりにハマヤ株式会社が深く関わり繁盛したことが徳島の喫茶事情に反映している。

ハマヤ株式会社の四国での沿革

大阪市西区で創業。

合名会社ハマヤ商店に改組。ミスジ印コーヒーを製造・販売・

ハマヤ株式会社に改組。家庭用コーヒーの普及を図るべく百貨店取引部門を強化・拡充。

ミスジ印コーヒー・紅茶・ココア・コーヒーシロップの製造を再開。

高知営業所開設。

「丸新デパート」内にコーヒースタンド開設。 
※右は、昭和36年8月から第二期の拡張工事が始まった頃の新装された売り場の改築平面図。『丸新五十年史』より。画像02

徳島市中洲1丁目に「徳島営業所」開設。

徳島市佐古六番町に移転。

珈琲専門店「珈琲人」が流行る。このチェーン店は、県内外23店舗まで展開。

豪華客船外輪船シリーズ「サンプリンセス」「ミシガン」の店舗設計を提案し、ヒットする。

徳島市北沖洲に移転。
※右写真は北沖洲事務所。『徳島城山だより58号』より。

豪華列車シリーズ等の店舗設計を提案し、ヒットする。

2.20 徳島市東沖洲(マリンピア内)へ移転。

四国工場完成(250kg焙煎機プロバット(ドイツ製)導入)

ハマヤ株式会社の会社データ

会社名

ハマヤ株式会社

住所

〒770-0873 徳島市東沖洲2丁目26番16
(マリンピア沖洲内)

TEL

088-664-1125

FAX

088-664-1129

支店長

見喜 福

事業内容

コーヒー豆の焙煎及び一般販売
カフェ・レストランなどへの食品総合卸売り
ドリンク・フードメニュープランニング
オフィスコーヒーサービス

所属団体

日本スペシャルティコーヒー協会員

ホームページURL

http://www.hmy.co.jp/  http://www.coffeehamaya.com/index.html

E-mail

info@coffeehamaya.com

丸新50年史より1F配置図
丸新50年史より1F配置図
北沖洲事務所『徳島城山だより58号』
北沖洲事務所『徳島城山だより58号』

電話帳広告で見るハマヤ株式会社の変遷

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